こんな気持ちいでいられたら

ロートル病理医。地味な医者ですが、縁の下の力持ちでいることに誇りを持っています。

ツバメの巣立ちの練習飛行、鎌倉駅の夏の夜

・・・早朝でも暑い

一昨日、鎌倉に帰ってきた時、鎌倉駅舎のツバメの巣をみたら、巣からツバメの尻尾が飛び出していて、下から見上げると巣から嘴だけ突き出していたのが、あっという間に大きくなってずいぶん窮屈になったのだなと思っていた。

昨日の朝は一羽もいなくて、もう巣立ってしまったのかと思ったらそうではなかった。

というのも、昨日帰ってきたらヒナと思しき小鳥が駅舎の中を火災探知機の間を、のびのびと行ったり来たりしていた。

巣立ち前のトレーニング、明るい夜の駅舎の中なら安全だ。

ピーチクパーチク鳴きながら遊んでいるのをみると、本当に愛らしい。

人の邪魔にならないよう壁際に移動して、その様子をしばし眺めた。

巣とは別の探知機の上



夏が過ぎればツバメ一家も南の国に帰ってゆく。

野生のツバメの寿命は、2、3年といわれているそうだ。

鳥にしては短いと思ったが、天敵は多いし、何より渡りの長旅があるからだそうだ。

あの小さな体で想像を絶するような旅をするのだから無理も無い。

この一家がもう何代目になるのかわからないが、この親鳥たちか、この子達のうちの誰かが命を繋ぐのだろう。

椅子取りゲーム?

絶滅危惧種”という言葉出てきたのは30年ほど前だそうだが、それ以降どれほどの動物種が絶滅したのだろう。

もちろん、動物というのは人間が関わらなくても衰退していくものがあるが、今の絶滅危惧種は、人間が人間のために絶滅させてしまうのが、ほとんどだろう。

 

スズメが減ったというのはよくいわれるし、ツバメも生息数が減少しているらしい。

ツバメは飛ぶ虫を餌とするため、人間にとっては益鳥だ。

人間の営みに寄り添って生きている動物たちも、人間の生活スタイルの変化で生き方を変えることを余儀なくされている。

広い遊び場

 

そんな中、毎年、鎌倉駅がツバメの営巣の手助けをしているのは、人間として当たり前のこととはいえ、なかなかできることではなく、褒められるべきことだ。

そういえば、閉鎖されていた巣の真下の自動改札、昨日は使えるようになっていた。

駅員さんたちもきちんと観察しているのがわかって嬉しかった。

 

 

 

 

社会を良いものにするために、私はどんな大人であるべきか

 

夕立すらないのだが

夏休みが始まり、通勤時間帯の学生の数が極端に減った。

ずいぶん楽になったと感じているのだが、実は学生は案外上品に電車に乗っているのだと気がついた。

というのも、駅のホームやコンコースで歩きスマホをしている大人は相変わらず多くて、そんな大人こそが迷惑だったのだ。

 

歩きスマホに限らず、電車内での騒音や、自転車・車のルール無視など、周囲の迷惑を顧みない行動は、日常のあちこちにある。
でも、それをしているのは見知らぬ誰かではなく、自分自身かもしれない。気づかぬうちに、私もそうなっている可能性がある。

日常生活でのマナーや、自動車運転時のルールを守るというのは、結局のところ他人のためではなく、巡り巡って自分のためになる。

自分がルールを守るという小さなことが、ひいては社会全体の規範意識の向上につながるからだ。

 

なんだか、昨日に続いてこんな話で恐縮だが、今日気がついたのは大人が大人であるにはルールを守ることが大切だと感じたから。

子は親を見て育つというが、子供たちは大人を見て育つ。

大人の行動を見て、子供たちは社会を担ってゆくのだ。

今の世の中、立派な大人がなかなかいないが、探せばそこそこはいるし、探していなければ、自分がそうなればいい。

メリハリをつけてゆけば、そう息苦しく感じないで生きることもできるだろう。

 

 

つくづく意地悪な私

北海道では40度になる?今日も危険な暑さへ

私の勤務先は少し郊外にあり、都心のターミナル駅に一旦出てから、下り方向の列車に乗る。

都心では満席でも、やがて人は少しずつ降りて、隣がいなくなるタイミングがある。

私が毎日乗る通勤電車のベンチシートは手すりによって2人、3人、2人に区切られている。

 

この時、私が2人スペースの端に座っている場合、問題が生じる。

隣が空いて、その席に誰かが座るのは当然として、やがて周囲の席がガラガラになっても後から横に座ってきた人がどいてくれないとちょっと残念な気持ちになる。

2人のところからだと一旦立ち上がって手すりの向こうに行かなくてはいけない。

隣に座ってきた人が割と大柄な男の人だったり、小柄な人でもスマホをいじって腕が当たってくるような人だったりすると鬱陶しくなる。

この端に男の人二人

ならばさっさと自分が広々とした別のスペースに動いたらいいのにと思うかもしれないが、いざ私がそうしたらその後その後から座ってきた人が私のいた、端っこのコージーコーナーにズレてのびのびと座るであろうことを想像するとなんとも釈然としない。

 

ちょうど今も目の前のベンチシートの向かって右端の2人スペースに男性が2人座っている。

端っこの人はスマホをいじっていて、2人目の人は結構豪快に舟を漕いでいる。

スマホをいじっている人は窮屈そうだけど、動こうとしない。

そういうことに無頓着な人もいるから、どういう心境なのかもわからない。

 

もちろんその隣の5人分は空いていて、すなわち向かいの7人掛けのシートに二人だけ端によっているのだ。

ちなみに、私の側のシートもガラガラだ。

端っこの人が移動したら、たぶん、その舟を漕いでいる人は、ふと目が覚めて寝ぼけ眼で端に移動し、さらに気持ちよく眠りに落ちるだろう。

それって・・・。

 

と、そんなことを考えていたら、一時期話題となった日本人の”自分が損をしてでも相手を出し抜く”という、スパイト行動をとりやすいという少し前の研究を思い出した。

 

この場合、”自分が移動することによって、自分のことを窮屈に押し込んでいる人が伸び伸びするのを見るぐらいならこのまま我慢してここで頑張る”という行動がそれだ。

さすがに私なら、そういうときは移動してしまうだろう。けれど、そんなことをいちいち計算してしまう自分が、つくづく意地悪に思える。

 

まあ、相手がさっさと”降りて”くれたら話は終わるのだが、世の中そうそう上手くはいかないわけで、結果として、自分の嫌なところが露見してしまう。

そんなところで、自分の狭さに出会ってしまうのはなんとも、居心地が悪い。

 

 

 

 

 

 

これが本当の戦後のおわりか

夏休みの空

昨日の夕方新聞配達がきていた。

海の日で新聞は休刊だろうと郵便受けを見ないでいた。

今朝、新聞をとりに出ると2部ある。

参院選特別版とあって、どうやら日中得票が決まったのでその号外のようなものだったらしい。

 

日本はこの先どうなってゆくのか、と憂える人が多いのかと思うと、今年の夏休みは旅行に出る人も多いようで、どこが政権を取っても同じようにも見える。

日米関税交渉の行方は心配だが、日本の企業のこと、たとえ25%の関税をかけられても、25カ所でそれぞれ1%ずつ圧縮して、実質0%にしてしまいそうな気がする。

経済担当大臣は8度目の渡米だそうだが、進捗状況は明らかにされておらず、これじゃあ旅費ばかりかかってしまっているようで、不信感は募る。

この交渉がうまくいっていないことも選挙結果に影響を及ぼしたであろうことは、想像に難くない。

ひとのせいにはできないな

自民の歴史的大敗と少数政党の乱立。日本政治は、新しい局面に入ったように見える。

自民党が再浮上するには、今の長老政治からの脱却しかないだろうが、色々な意味でなさそうだし、公明党も母体団体の高齢化は如何ともし難い。

この先、このような状態がどれぐらい続くのかはわからないが、いずれにせよ自民党一党独裁は終わったのではないだろうか。

政治の構造転換とともに、私たちの意識も変わっていくのか。これは、ある意味で“戦後”の終わりなのかもしれない。

 

太平洋戦争の終戦から80年。

いいことも多少はあったが、結局のところ空前の少子化とともに、この国は縮む一方だ。

コンパクトな国となってつましく生きていくことを美徳とできるような方向を目指したらいいのではないか。

 

 

 

ハッピーマンデーはおまけのようで

いい青空だね

今日は海の日、いわゆるハッピーマンデーだ。

祝日をハッピーというのは、私のように暦に従って生きている人間にとってそうなだけであり、今日も仕事に精を出している人はたくさんいる。

振替休日の場合は、日曜日に横取りされた休みを1日取り返したような感じだが、このハッピーマンデーは降ってわいたような休みで、まるでおまけのような感じだ。

おまけというと、ふるさと納税の返礼品を思い浮かべてしまう。
あれも“制度の本質”とはちょっと違うところで、気持ちを引き寄せるためのものだ。

パンパスグラスがどんどん増えてる

昨日の参議院議員選挙は自民・公明が過半数割れとなる惨敗で、立民横這い、国民、参政が躍進となった。

ハッピーではない月曜日を迎えた政治家は少なくなさそうだ。

石破総理は例の総裁の椅子にしがみつくことにしたようで、まあ手放すつもりなんてまったくなかったのだろう。

戦前の盛り上がりに比べて終わってみれば、まあこんなものかという感じだった。

立民はフレッシュさに欠けるし、国民は党首がどうも。賛成はまだよくわからないが、わかるより先に議席数がどんどん増えているようにみえる。

維新、れいわは割を喰ったように見えるが、参政の躍進の前に戦々恐々ではないか。

二大政党制はますます遠のいた。

石破続投となったら自民党も分裂の可能性がなくはない。

この国における小政党の乱立はこの国をどこへ持ってゆくだろう。

 

選挙の日、犬と歩いた朝の鎌倉

夏の朝

一昨日の夜から梅雨明け前のようなじめじめはなく、窓を開けたまま寝られる。

とはいえ、戸締りは心配だから、家中開けっ放しとはいかず、裏の方はもちろん閉める。

そういえば、大船で目撃された隻腕の猿はどうしているだろう。

アンを番犬とたのんでいるが、猿はずいぶん喧嘩が強いようなので、寝込みを襲われたらアンといえども頼りになりそうにない。

そのアンだが、ホルモンバランスが狂っているようで、皮膚の調子が悪い。

抜け毛が多く、そのために飲ませる薬のせいかお腹の調子も今ひとつ。

それでも散歩に連れ出せばついてくるので、今朝は早起きして辺りを歩いた。

ひとけも少なく、ちょっと寂しい

日陰を選びながら歩き、亀ケ谷坂の切り通しへ。

昼なお暗く、ひんやりとしていて、なんとも気持ちがいい。

鎌倉の東西をむすぶショートカットで、自動車は走れないが、オートバイは通行可で6時台でも、時々すれ違う。

ハスが満開

7時の投票開始時刻にタイミングがあったので、投票所へ。

朝一番で来る人は多くて、少し並んだが、すぐに済ませた。

結局いつもと同じようなところに投票したが、果たして結果はどうなるだろう。開票速報が少し楽しみだ。

でも、まあ、結果が楽しみというよりは、この選挙結果でこの国がどう変わるかが楽しみということか。

つかれたね

なるべく日陰を歩いたつもりだったが、やっぱり暑かったようで、帰ってきてからアンはずっとダラダラしている。

 

 

 

 

 

 

今日はこれで十分

今日は海の日夏の空

なんともベタなタイトルでお恥ずかしいが、今日は特にこれといった出来事もなく、静かな一日だった。

いや、東京の母が遊びに来て、それを息子が車に乗せてきてくれた。

息子の誕生日を手巻き寿司で祝った。

 

と、そんなものか。
でも、それだけで十分楽しく、幸せなひとときだった。

 

アンの散歩がてら母を鎌倉駅まで送ったが、よくまあこれだけの人が来るものだというぐらい人がまだ多くいた。

 

帰ってきて、夜風に吹かれながらこの記事を書いているが、聞こえるのは風の音とそれに吹かれる葉の音、そしてフクロウの声。

時折、遠くの方から横須賀線の音が聞こえてくる。

 

夏の夜が静かに深まってゆく。