こんな気持ちでいられたら

ロートル病理医。地味な医者ですが、縁の下の力持ちでいられることに誇りを持っています。

親としてやってきたこと、やれたこと

娘が昨日成人式を迎えることができた。

幼稚園に行っていた頃、落花生(ピーナッツ)アレルギーがわかり、アナフィラキシーショックを起こす可能性があると、同僚の小児科医に言われた。ショックを起こしたら命に関わるから、20歳までは生きられないかもしれないとまで言われ、妻と私は呆然とした。それまでは笑顔の多かった子だったが、エピペンを常時携帯し、親子で原材料の表示にピーナッツがないかを探すようになってからは笑顔はずいぶん減った。その頃は今のように3大アレルゲン表示などという考え方そのものがなく、飛行機の機内ではピーナッツ入りのスナックが平然と配られていた。最近では、店頭に食材の表示をするのが当たり前だけど、ほんの数年前まではそんなこと全くなかった。娘が軽いアレルギー反応を起こしたときに、製造元に問い合わせたらやっぱりピーナッツが入っていて、それを表示することをお願いしたら、小さな会社でパッケージを変える余裕などない、勘弁してくれ、と言われた。大手の外食チェーンでも同じような対応をされたことがあった。今ではそんなことが嘘のようだ。

妻はエピペンを学校に置いてもらうことを学校や教育委員会に掛け合い、通っていた鎌倉市の公立小学校の校長先生は何かあったら使いますから、と約束してくださるようにまでなった。新聞にも投書し、取り上げてもらったこともあった。さらに、その投書に関心を持ってくれた記者が特集などを組んでくれて、アナフィラキシーショックのことが段々と知られるようになった。その間にも川崎市で小学生がアナフィラキシーショックで亡くなるという悲しい事故があったりもした。

私立の小学校にやろうとしたら、この学校は小さな学校なので、もし何かあったら生徒募集に差し障りがあるので入らないでくれと、言われた。中学受験でも、そのことを言った途端に入学しないでくれ、責任は取れないと断られた。私の勤務先の病院の宿舎にでも住んで、そこからすぐの学校にでも通ったらいいのではないか、などということを言う教育関係者もいた。世の中、こんなことではアレルギーのことを隠して生きる人が減らないのは仕方がない。唯一、娘を引き受けてくれた学校から合格通知が来た時に、妻が「アレルギーのことがありますが、入らせていただけるのですか?」と校長に直接話したら、「神様の前では皆平等です」と言って入学させてくださった。もともと食育に力を入れている学校ということも助けになった。昨日、娘が学校に挨拶に行ったら、教頭先生がいらして、「よかった、よかった、おめでとう。ご両親に感謝しなさい。お父さんはあなたが入学してすぐに職員会議で、アナフィラキシーのことを説明してくださったんだよ」と娘に明かしてくれたそうだ。林間学校だの、部の合宿にも本人にはわからないようについて行って、近隣の救急病院に何かあったらよろしくお願いしますとお願いして回った。その度に、それらの医療機関、救急隊の方たちは快く返事してくださった。何よりもいつも気を配ってくださった先生方、関係者の方々には感謝しか言葉はない。

地道な減感作療法が効を奏したのか、高校生の半ばごろにはアレルギー反応を起こす可能性は相当低くなった。積極的に食べることはしないが、誤って食べても重篤な症状とはならないようになった。大学に入ってからは山ガールとなって3千メートル超の山に登り、大学のプログラムを利用し、ベナンとか中国に行っているが、とくに問題は起こっていない。全くたくましくなったものだ。

息子と娘、子供二人が成人するまで面倒を見てやることができた。その時々にあたふたしていたことだけは覚えているが、親として子育てに何をしてきたのかあまりよくわからない。子育ては私たちだけでやってきたのではないのはたしかなこと。親としてやるべきことというのは、子供が育っていくための様々の環境を整えてあげることしかできない。そして、その環境とは、お金をかけた教育とか贅沢をさせてやるということではなく、その子を共に育んでくれる、ある意味子育てのためのリスクを取りに行くことを厭わない大人へと導いてあげることかもしれない。社会全てが子育てをする、というのはそういう意味だと思う。

少しでも多くの大人が子育てに関心を持って、子育てをする親に手を差し伸べる社会。私もそういう社会を実現させることの手助けのできる大人でありたい。

自分の親への感謝も忘れず

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