こんな気持ちでいられたら

ロートル病理医。地味な医者ですが、縁の下の力持ちでいられることに誇りを持っています。

親切を貯金しよう


 月曜日、バスに乗る前に、少し大きめの乳母車を一人で持ち上げて乗り込もうとしている女性が見えた。誰も手伝おうとする気配がないうちに、私もそこに追いついた。ぎっくり腰でどうしようもない状態(腰がピシッと-10月20日)だったが、意を決してその親子がバスに乗るのを手伝った。そのお母さん一人でも大丈夫だったのだろうけど、手助けがあれば助かるに違いない。たぶんお役に立っただろう。この話、たいしたことではないのにわざわざ書いたのは、自慢したいからではなくて、気になるニュースがあったから。

 それは、ゆうべ日本が国際的なランキングで人助けをしない国と評価されてしまったという残念なニュース(World Giving Index 世界人助け指数)を妻が憤慨しながら話してくれたから。このデータについては算出方法などについて色々と問題があるようだし、そもそも国全体の福祉レベルが高い国で寄付とかそういったものをどう考えるかということもあるだろうから、一概にどうこういうのは難しい。さらに、寄付なら赤い羽とか年末助け合いでずっと昔からそれなりにやっている。

 日本で親切が目立たないのには、いろいろな文化的原因もあるだろう。その一つは恥の文化。それぞれの人の特色、特徴が目立つことを嫌い、隠す、他の人と同じにする。手伝ってもらうのも恥、遠慮することこそがいい。でもそうだろうか?いろいろな局面で気を配ってもらい、時には手助けしてもらうことで誰もが幸せになるのではないだろうか。

 歳をとったら誰しも障害者と同じ状態になる。年を取ったら誰しも人の手助けがありがたくなる。お年寄りには親切にしよう、というのは、年をとって体が不自由になった人には親切にしようということで、それはすなわち、どんな人であっても障害やハンディキャップを持った人には親切にしようということではないか。障害を持っていることが悪いのではなく、障害を持っていることで、健常人仕様となっている社会インフラの利用で困っている人を、できる限りで手助けするというのが一般的な”親切”だ。

 たとえば私、このままギックリ腰が治らなければ、誰かに親切にしてもらったら助かるし、そうしたら感謝する。親切が今以上に世の中で当たり前となったら、それはやがて自分にも返ってくる。今できる親切は親切の貯金の様なものだ。そして、それが社会全体に広がれば貯金の額はずっと大きくなるはずだ。

みんなで親切、しませんか

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